明治以降の文明開化と近代化の嵐の中で急速に整備された学校制度もまた、強迫性性格を育むべく機能した。起立、礼、着席、に始まり忘れ物調べ、服装チェック、校門指導、とえんえんと続く「型にはめる」行為を考えてみるとよい。もちろん、中間、期末テストに始まり入試でその頂点を迎える各種のテストもまたその準備のために著しい強迫性を必要としたのであった。能力が同じなら強迫性性格のほうが明らかにテストに強く、テストに強ければ一流大学に進学でき、一流大学を出ればいろいろな面で有利であり、またその強迫的な性格が産業社会にとっても都合が良い、という構造が成立する。それゆえ、フランクリンがこうした日本の現状を見たらこういうであろう。「点は金なり」と。したがって、旧制高校や今の大学はこうした強迫行為に疲れた学生の憩いの場所であり、卒業によって休憩時間が終われば、また再び、企業という強迫的な世界に戻っていく運命にあったのである。ついでに言うと、体育会の学生が企業に歓迎されるのもまったく同じ理由に基づいている。
【参考】
http://www.yaca-tecuhtli1.net/menu2/nndbst13179.html
http://www.accessoriesforyourhome.net/menu2/fgxcae13178.html