抜きん出た能力で頑張りすぎる罠

2012-02-01

頑張るから能力が上がるのか、能力があるから頑張るのか私の高校は珍しい学校で、一年生のときには毎週五キロの通称、週例マラソンの時間がありました。グラウンドが狭く体育館の設備が足りない関係で、外に出る授業をしないとカリキュラムを埋められなかったのです。そんな理由で真夏も真冬も外を走らされるのですから、なんともまあ迷惑な話でした。今では良い思い出ですが。「頑張る人」というテーマから書き始めようと思っていたら、そんな青春の日々が蘇ってきました。

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私はそれほど頑張ってはいなかったのですが、毎週とても頑張っていた連中の顔が浮かんできたのです。週例マラソンで頑張る連中は、いつも決まっていました。有名人でもないのでここに名前を出してもしょうがないけど、とにかく速いやつらだったのを覚えています。そう、もともと長距離走が得意で、運動が好きで、速く走れるやつが、ひときわ頑張っていました。私は短距離が得意なほうだったので、死ぬ気で長距離を走った記憶はありません。速いやつらとは勝負にならないと思うと、そこまでの意欲が湧いてこなかったのでしょうか。頑張る速い連中とは対照的に、いつも優雅にジョギングしている連中もいました。その代表格に今でも仲の良い友人がいるのですが、失礼ながら彼らの特徴は遅いことです。私の青春の記憶にある週例マラソンと同じように、会社組織の中にも、頑張る人と頑張らない人がいます。そこで、とても素朴な疑問について皆さんと一緒に考えたいのですが、なぜ頑張る人は頑張り、頑張らない人は頑張らないのでしょうか。もちろん決まった答えはありません。ただ、どうも私は頑張ることの価値について、偏った見方が定着しているような気がします。それは、「頑張るからこそ成長する」という、まず頑張ることありきの考え方です。これは一面では正しくて、自分を磨くために相応の努力が大切であることは言うまでもありません。でも、あまりにも当然すぎる努力の大切さの前に、もう一つの大事な人間の真実が隠されてはいないでしょうか。それは、もともと報われるだけの素養を持っているから、頑張る気になる人がいる、ということです。逆の面から見ると、報われるイメージを持てない人もいて、だからそういう人は頑張る気になりにくい、ということです。私の友人のマラソン大嫌い男のK君が、ある朝、急にトップアスリートの身体になっていたとしましょう。鏡を見ると肉の塊は削げ落ち、鋼のような肉体が軽やかに躍動しています。「そうだ、きょうはマラソンがある。きっとみんな驚くぞ」ところが、けたたましい目覚まし時計の音とともに、彼のフィジカルなファンタジーは幕を下ろしました。「オレ、ほんとにやる気やったのに……」登校途中、隣を自転車で走る彼が語っていた真顔を、今もはっきりと覚えています。実はこれ、本当の話です。